スマホの画面が記事になる時代になった。 kubota

先日テッククランチのピッチイベントのファイナリストになった6人のスマホのホーム画面を晒される記事が書かれ、ファイナリストの一人として私のホーム画面も晒されました。

newspicksのコメントにもありましたし、個人的にいくつかメッセージももらったのですが、アプリのアイコンや個人がどのようなアプリを使っているか、が記事になり、結構の人が関心を持って見るものなんだな、と驚きを持って見ていました。スマホアプリの世界で戦っている人にとっては考えることがまた一つ増えたのかもしれません。

スマホはあまり活用仕切っている方ではなく、使用しているアプリはほぼホーム画面に残っているものくらいです。目に入る情報の量が少なく効率が悪いので情報収集手段としてスマホを使うことはなく、基本的には長文が必要にならないコミュニケーション、カメラを使わなければならない作業に使うことに限られます。移動中もリアルの人や町並みを観察していたり、そこに存在している各種広告を見ている方が自分が見えていない世界を多少なりとも見ることができて面白いし、スマホに頼りすぎると第六感的な直感が鈍ると思っています。

ただ、そのようにリアルの人を観察していると身体と一体になったようにスマホを覗き込んでいる人たちが本当にたくさんいるので、もうこのデバイスを無視することはできないのだろうな、と思ってはいます。

我々が事業の対象にしている世界ではこれまでスマホはなかなか使われてこなかったし、使えるアプリも限られていたので、今後まだまだ未開の世界が広がっていると考えるとワクワクしてきます。現在提供しているサービスはウェブアプリのみでそれ自体は間違ってはいないと思っていますし、そこで完成度のプロダクトに仕上げることが最優先ではあるのですが、将来できそうなことを少しずつ思い描きつつあります。

スマホの先の先の(もしかするともっともっと先の)デバイスは目から情報を取り入れる形ではなく脳に直接働きかけるものになると思うのですが、そのような未来が来た時に元から個人が持っている脳のキャパシティがどのように影響するのか、今からとても楽しみです。生まれつき頭のいい人がさらに大量の情報を操れる世界になるのか、(言葉は悪いですが)生まれつき頭の良くない人がいい人と同じレベルで戦える世界が訪れるのか。それによって人類の社会構造が大きく変わってくると思うからです。

インターネットの誕生によって起こっていることは現在前者で、富は一部の人に集中することになり、格差は広がっていきました。これが続けばかなりの人はおそらく仕事に就くこともできなくなると思います。その時に少なくとも仕事につける人とつけない人の間で大きな社会的な断絶が起こるように思います。それを本能で予期して自分たちが不遇を過ごすことになると思った人たちがアメリカでトランプ大統領を成立させたと思うのですが、これから先の世界はどうなっていくのか。テクノロジーが格差があまりでない方向にうまく働くと良いなと思ってはいます。(やはり今の流れのままいくのだろうな、と想像はしていますが。)