緑泉会 kubota

大分久しぶりに能を見に行ってきました。以前矢来能楽堂の近くに住んでいたこともありたまに見に行っていたのですが、実は知り合いがその観世九皐会の能楽師になっていたことが判明し、龍田をシテで舞うとのことで見てきました。

 

能はあまりにクラシックすぎて今の日本のほとんどの人に馴染みはないと思うのですが、西洋の例えば、オペラ、ミュージカル、バレエ等のダイナミックな感じに比べて、とてもゆっくりとした小さい動きの積み重ねで魅せる面白い芸術だと思います。それゆえ身体的な衰えが芸能生活の終了とはならず、年をとればとるほど円熟味のます特殊な世界を作り出しています。

 

芸術には支配層であった貴族文化と民衆の間で作られ伝承される大衆文化とがあると思うのですが、前者の代表的なものですね。僕はそういう貴族的なものも大衆的なものも両方好きなのですが、貴族的なものはどこの国であってもそしてどの時代であっても一般受けはしないものにどうしてもなってしまうのかな、と思います。モーツァルトなんかのクラシック音楽も同じなのですが。よく言えば日本で一番品のいい芸術です。歌舞伎なんかはもっとポップで江戸時代に生まれたパンクな能って位置づけですよね。

 

僕は真正面より舞台を斜めから見る中正面から見るのが結構好きなのですが、能楽堂の小屋組と地謡の人たちがきれいに見えて絵的にきれいだと思うんですよね。鏡面に書かれている絵の岩絵の具の色合いと相まって。

 

そんな歴史のある能の世界なのですが、松竹という経営組織がバックにある歌舞伎と違って、興行の宣伝やチケットの販売が能楽師個人に任されているという業界全体での経営という視点があまりない世界なんですよね。伝統的な芸術の中では一番洗練されて綺麗だと思うので、万人に受けるのは難しいかもしれませんが、能楽堂が常に満員になるくらいは簡単に集客できるポテンシャルはあると思います。うまく組織を作れると面白いですよね。外国人受けも絶対いいと思うんですよね。しかもハイエンドの人たちに。